高校受験に関して思うこと

 

今回のブログは,高校受験に関して私が思うところを綴ります。

 

まず,当塾は大学受験指導を主軸に据えてはいるものの,決して高校受験を軽視しているわけではないということを誤解のないように申し上げておきます。

公立中で学ぶ中学生は高校受験を経て成長することは揺るぎない事実ですし,高校受験は将来に向けた通過点として不可欠なものであることは間違いありません。

 

 

今春も岐阜学区の上位 3高 (岐阜高・岐阜北高・加納高 (普通科)) は多くの志願者を集めていましたね。

 

県内の公立高全体で見ると競争倍率は1.00倍ではありますが,岐阜学区内の上位 3高の競争倍率はそれぞれ1.18倍,1.29倍,1.26倍と,直近 5年間で見ても最も熾烈な争いになりました。

3高で計1,000名の入学枠に1,240名が挑む構図であり,これだけでも単純に競争倍率は1.24倍,およそ 5名に 1名が不合格になる計算です (県内の各高校の競争倍率はこちら)。

 

しかし,私は今春の上位 3高の競争倍率 (平均して1.24倍) は高いとは思っておらず,寧ろもう少し高くてもよいのではないかと考えています。

実際のところ,東大や京大,名大の合格者数ランキングに出てくるような他府県の上位公立高はもっと競争倍率が高いですし,大学受験で 1倍台の競争倍率になることは考えにくいからです。

 

難関大ともなると競争倍率は 3倍から 4倍に達することが一般的であるうえ,先日のブログでも申し上げたように,極端なケースでは10倍を超えるところもあります。

 

 

余談ではあるものの,私は塾で指導するようになって25年が経ちますが,公立高を受験した全員が合格を勝ち取った年はわずか 3度しかありません。

 

内申に不安を抱えていた,あるいは現場で力を発揮しきれなかった,またはわずかな可能性にかけて受験した等,不合格にはいろいろな要因があります。

倍率がそれほど高くないとは言っても「全員合格」というのは本当に難しいのです。

 

今春,当塾からは14名の中3生が公立高を受験し,岐阜北高と加納高でそれぞれ 1名ずつ,計 2名が不合格となりました。

彼らはいずれも岐阜東高へ進学することになりましたが,中学部の時点で志望校 (大学) が定まっていたこともあり,大学受験に向けて既に当塾の高校部で始動しています。

 

 

下記は県内の私立高に在籍して高校卒業までの間を当塾の高校部で学び,国立大の現役合格を勝ち取った卒塾生たちです。

 

[2016年 春] 1期生

岐阜東高 → 岐阜大学 教育学部

 

[2017年 春] 2期生

岐阜東高 → 名古屋大学 文学部

 

[2019年 春] 4期生

岐阜東高 → 岐阜大学 地域科学部

 

[2020年 春] 5期生

鶯谷高 → 名古屋大学 教育学部

岐阜東高 → 名古屋大学 工学部 (物理工学科)

岐阜東高 → 岐阜大学 教育学部

 

[2022年 春] 7期生

岐阜東高 → 奈良女子大学 生活環境学部 (食物栄養学科) [併願合格校 明治大・立命館大]

岐阜東高 → 岐阜大学 応用生物科学部 (生産環境科学科) [併願合格校 法政大・名城大]

 

彼らは公立高入試で岐阜高・岐阜北高・加納高への入学が叶わず,中学を卒業してからは県内の私立高へ進むことになりました。

しかし,大学入試は納得のいく形で終わらせたいという気概を持って高校卒業まで当塾で学び,それぞれ上記の大学の現役合格を勝ち取りました。

 

彼らが不合格となった公立高へ進学した生徒たち全員が,大学入試においても順風だったかと言えばそんなことはありません。

公立の上位高に合格したからといって胡坐をかいていると,いつの間にか “中学卒業時の序列” が崩れ,取り返しのつかない事態に陥っていることが往々にしてあります。

 

当塾のチラシにも謳っている通り,高校合格はゴールではなく通過点であるという意識を持つことが重要です。

 

類を以て集まる

 

本日は祝日ということもあって,多くの中学生・高校生が昼から自習に来ています。

彼らのために用意した40席は13時30分のオープンから30分もかからずに満席となったため,すぐにもう 1室を手配しました。

 

中3生は来月に公立高の入試,中1生・中2生は来週に学年末テストを控えているということもありますが,どの生徒も黙々と自身のすべきことに取り組んでいる姿が印象的でした。

高校生の諸君に関しては,長期的視野に立って行動している子がほとんどですから言わずもがなです。

 

 

本日に限ったことではありませんが,当塾は生徒たちに自習へ来るよう促しているわけではなく,彼らは自分の意志でそう決断して行動しているのです。

そういったことの積み重ねが中学生の通知表実力テスト結果,高校生の進研模試等の結果につながっているのでしょう。

 

他の塾や予備校から当塾へ移って数ヶ月が経つと,お子さまの行動がすっかり変わっているということが往々にして起こります。

昨年の11月・12月から来てくれている中高生に,入塾した頃と比べて顔つきが完全に違ってきたという子が何名か見受けられます。

 

以前のブログでも申し上げましたが,『類を以て集まる』という故事には本当に納得させられます。

 

 

以前のブログでも取り上げたように,当塾の自習室では私語をする生徒は皆無で,スマートフォンに触れる生徒も音楽を聞きながら自習するという生徒も皆無です。

いずれも明確に禁止を通達しているわけではありませんが,塾生たちが自主的にそうしてくれていることが私には嬉しいです。

 

逐一そういったことを注意しなければならないということは,塾内のモラルがその程度だということですからね。

 

国語科の重要性

 

以前のブログでも申し上げたように,私は幼少期の読み聞かせとお子さま自身による読書,そして低学年の国語教育は非常に重要だと考えています。

 

当塾には今年度も併願で滝高校の合格を勝ち取ってきた中3生がおりますが,これまでを振り返っても,私の中で滝の併願は “国語力のある理系生” が多く合格してくるイメージです。

今年度の合格者はこれがぴたりと当てはまるお子さまであり,入口カウンターにお薦めの新書などを置いておくと,彼はお迎えの待ち時間等に必ずと言っていいほどそれを読み耽っています。

 

幼い頃から本を読む習慣があり,長きにわたって論理的思考力を磨いてきたお子さまはやはり強いなあと改めて感じた次第です。

東大・京大は理系学部でも二次試験に国語科の試験が課されていますが,その理由も同様なのかもしれません。

 

教え子との再会 Vol. 025

 

先日,新成人の式典の帰りに卒塾生が顔を出してくれた際,ちょっとした行動の中に彼らの成長を垣間見ました。

 

写真の彼らはいずれも当塾の卒塾生 ( 5期生) で,岐阜高を経て現在は名大の工学部 (向かって左が建築,右が機航) で学んでいます。

成人祝いで私が贈った品を手に記念撮影をしました。

 

当塾の卒塾生は大学在学中,多くがアルバイト先として塾や予備校,または家庭教師を選んでいると聞いています。

別々のアルバイト先ではあるものの,写真の 2名も愛知県内で入学時からお世話になっている塾があるとのことです。

 

 

生徒や教え子と撮影をする際,いつも写真の簡易ソファーの位置で撮影しています。

 

彼らとも写真を撮ろうということになった際,彼らの後に晴れ着の女の子たちが来ることがわかっていたので,スペースを広く取るために前もってソファーを動かすことにしました。

私と社員とで簡易ソファーを動かそうとしたところ,彼らは私の動きを見て,私の後をついて所定の位置へ簡易ソファーを運んでくれたのです。

 

そういったことを自然とできる気遣いが嬉しかったですし,彼らの行動からアルバイト先の塾で日頃からしっかりと鍛えてもらっていることが窺えました。

些細なことではありますが,教え子の成長を感じた瞬間でした。

 

“結果を出した” 子どもたちが塾内で実践していたこと

 

以前に『 “伸びる” 子どもたちに共通していること』と題してブログを綴りました。

今回のブログは,その補足的な位置づけとして『 “結果を出した” 子どもたちが塾内で実践していたこと』をテーマに書き綴ります。

 

なお,ここで定義する “結果” とは大学受験においてのものであり,例えば定期テストなど各種テストで高得点を収めたとか高校入試に合格できたといった途中経過のものではありません。

長い目で見た成果を追い求めるのが当塾の指導であり,これは眼前のテストで結果を残すための付け焼刃の指導とは一線を画すものです。

 

 

まず,“結果を出した” お子さま方のほとんどが,余程のことがない限り塾を休むことはありませんでした。

 

授業を休まないのは当然ながら,自習室へも足繁くやって来ることを小学部中学部の頃から習慣化し,高校部でもこれを継続できたお子さま方は,その多くが第一志望の合格を勝ち取っています。

“忍耐力” と “継続力” がキーワードと言えますが,これは決して容易なことではありません。

 

彼らにもきっと,今日は疲れたなあ,休みたいなあという日もあったでしょうし,体調が万全ではない日もあったでしょう。

それをぐっと堪え,今日も頑張るんだという気概を持って来る日も来る日もすべきことに取り組んだからこそ,彼らは大きな成果を上げることができたのだと思います。

 

ご家庭で行くよう促されて仕方なしに来たというような後ろ向きな姿勢では,高校入試はクリアできても大学入試では結果が出るはずもないのです。

 

 

次に,“結果を出した” お子さま方のほとんどが良い意味で人懐っこいところがあり,協力者を引き寄せることに長けていました。

 

日頃のちょっとした質問をはじめ,難関大を受験するのであれば各科の教員に添削依頼をしなければならない場面が数多くありますが,彼らはこれを上手にやっていた感があります。

大きな結果を残すためには協力者の存在は不可欠であり,一流のアスリートの方々も名コーチの存在があって数々の記録や結果を打ち立ててきたということからもこれは明白です。

 

併せて,彼らは適切な挨拶ができていました。

入退室時の「こんにちは」「さようなら」,授業時の「お願いします」といった挨拶をはじめ,「ありがとうございます」のようなお礼の言葉も,彼らは程良い声量で,かつ表情豊かに言えます。

 

これらはお子さまが幼い頃からのご家庭での接し方の賜物なのだろうと思いますが,彼ら自身も意識して取り組んでいるからこそ周囲から “評価” してもらえるのだと思います。

相手の懐に入るのが上手いと,大学進学後や社会へ出てからも得なことが多いですからね。

 

 

最後に,”結果を出した” お子さま方は,挙って高い集中力が備わっていたということが挙げられます。

 

授業中はもちろんのこと,自習室で学習に取り組んでいる際も,彼らは良い意味で夢中になっていました。

これは高い志を持ってすべきことに取り組んでいるからに他なりませんし,自立しているからこそ高い集中力を持続できるのだと思います。

 

学習中に集中力が続かない,または他のことが気になってしまうというお子さまは多いと思いますが,その原因がどこにあるかを探ることも重要です。

 

 

結果を出すためには日々コツコツと学習に取り組むことは当然のこととして,“結果を出した” お子さま方は上記したようなことも実践していました。

 

もちろん,全員が初めから全てを熟せたわけではなく,成長してそのようになったというお子さまもいます。

彼らの持ち前の “素直さ” がそうさせたのだろうと考えられますし,ご家庭で培ってこられた “忍耐力” も学習に活きたと考えられます。

 

蘇原中の期末テスト

 

蘇原中の前期期末テストの結果が出揃いましたので,素点の上位 5名の結果を紹介します。

 

451点《蘇原中・中2生 (通塾歴 3年 6ヶ月) 》〔学年末より22点ダウン〕

449点《蘇原中・中3生 (通塾歴 3年 8ヶ月) 》〔学年末より 7点ダウン〕

446点《蘇原中・中2生 (通塾歴 1年 7ヶ月) 》〔学年末より 1点ダウン〕

437点《蘇原中・中3生 (通塾歴 5年 6ヶ月) 》〔学年末より13点ダウン〕

412点《蘇原中・中2生 (通塾歴 0年 3ヶ月) 》〔学年末より21点ダウン〕

 

平均点が公表されていないために何とも言えませんが,合計点だけを見ると単元テストのようには得点できておらず難しかったのかなという印象です。

 

ほとんどの塾生が実力テストと比較しても得点がダウンしており,準備にかなりの時間・労力をかけていただけに本人たちも今回の結果は非常に残念そうでした。

なお,まとまった数が在籍 ( 7名) している中2生の 5科平均は426.3点でした。

 

蘇原中に在籍する当塾の塾生で自己ベスト更新は 0名という結果に終わりましたが,失敗することもあると学べたという意味では彼らの今後の成長につながると確信しています。

学年内申をきっちり確保するためにも,後期の単元テストと学年末テストに向けてしっかり準備させたいと思います。

 

おもてなしの精神

 

長きにわたって愛用しているものは数多くありますが,ほぼ毎日使うものでその最たるものは車です。

 

Mirai を開塾する 5年前の2010年に新車で購入し,総走行距離はまもなく20万kmに達しようかという代物です。

外観や音響,走行性能など細部まで非常に気に入って購入に至った経緯もあり,なかなか次の 1台が決められないまま11年以上が過ぎました。

 

これまで大きな故障は一度もなかったものの,およそ 1か月前から始動がうまくいかないことが何度かあり,ディーラーに点検を依頼しました。

整備士の方によると,いくつかのまとまった部品を取り換えなければならないとのこと。まあ,年数と走行距離が嵩んでいますから仕方ないですね。

 

私が通っているディーラーの整備士の皆様は丁寧な方ばかりで,私たち素人にも理解しやすい言葉で説明してくださって非常に助かっています。

併せて,日頃からお世話になっているコンサルタントの方と受付の方々はおもてなしの精神にあふれ,同じサービス業に携わる者として学ばせていただくことが多いです。

 

写真はディーラー内のラウンジで撮影したもので,点検等でディーラーを訪れる際はいつもこの空間で過ごします。

心地よい時間を提供してくださるディーラーの皆様に感謝です。

 

日々の変化

 

先日のブログで,東京の大学へ進学した教え子の成長が嬉しかったという話を紹介させていただきました。

 

私は塾教員として仕事をするうえでの最大の魅力は,以前のブログでも申し上げたように「長きにわたって子どもたちの成長に携われること」だと考えています。

子どもたちの成長を目の当たりにする度に,私はこの仕事をやっていてよかったと強く思います。

 

 

中学部から大学受験までの 6年,小学部からだと 8年や10年にわたって指導することもあり,その間に子どもたちはどんどん成長を遂げていきます。

促されてようやく机に向かっていた生徒が自らの意思で自習室へ来るようになったり,周囲に対する感謝の気持ちを口にするようになったりと “明らかな変化” が見て取れる瞬間があります。

 

もちろん,成長過程においては良い意味での変化だけに限らず,素直に指摘を聞き入れない,ないし自身の考えを曲げないことで意見が衝突するケースも多々あります。

これも子どもたちが成長していくにあたって不可欠なものですから,そういう時期もあって然るべきと受け入れる度量が必要です。

 

私には大学生の娘と高校生の息子がおりますが,実際の子育てをしている中でもそういった変化を感じることがあります。

長い時間を共に過ごしているからこそ感じられる変化。これこそが子育ての,かつ,子どもたちと関わる仕事の醍醐味だと思います。

 

教え子の成長

 

この夏も,大学生や社会人になった教え子と顔を合わせる機会が何度かありました。

 

コロナ禍でなければ食事をしながらゆっくりと話をしたいところですが,現在の感染状況を鑑みるとそういうわけにはいきません。

1日も早い終息を願うばかりです。

 

 

お菓子の入った箱を手に教室を歩いているのは今春より上智大で学んでいる卒塾生で,受験を控える後輩たち一人ひとりにお菓子を手渡しながら激励をしてくれました。

 

彼女は 8月の初めに東京から岐阜へ帰省しており,2週間以上を空けて来てくれる気遣いはさすがだと思いました。

こういった気遣いに加えて現在の学びの報告からも彼女の成長を感じましたし,後輩たちを激励してくれる姿を見て非常に嬉しかったです。

 

教科書のデジタル化で思うこと

 

利点も数多くあるということは承知しているものの,私は教科書のデジタル化 (デジタル教科書の導入) に否定的な立場です。

今回のブログはなぜ私がデジタル教科書に賛成していないのかを,私が大学受験時に社会科選択科目 (日本史) の学習に取り組んでいた際の経験も踏まえてお話しさせていただこうと思います。

 

社会科・理科の各科は教科書を読み込んで理解することが学習の基本であり,教科書を蔑ろにして問題集をひたすら解くやり方は正攻法ではありません。

これは大学受験だけでなく高校受験においても同じことが言えますし,私が大学受験時に取り組んでいた日本史に関してはこれが顕著だと思います。

 

私は農学部の出身ですが,大学受験時に日本史の学習は全く苦ではなく,むしろ気分転換の位置づけで取り組んでいましたし,センター試験の日本史は満点でした。

写真は私が当時に愛用していた山川出版社の『日本史用語集』で,使い込みが激しく装丁も外れてしまっているなどボロボロです (見た目は汚いですがゴミではありません)。

ちなみに,写真には写っていませんが教科書はもっとボロボロです。

 

 

紙の教科書の良さは,何と言っても気軽に手に取れるところです。

私は問題を解いていて不明点が出てきたら,まずは教科書を広げ,そして図録・用語集も併用しつつその内容を振り返っていました。

 

「確か〇〇ページのこのあたりに記載があったよなあ」などと思い返しながら,山川の教科書をパラパラと捲る。

その際,調べたかった事柄・項目に関連する “別の情報” を読み耽ったり,または,関連はしないが “以前から気になっていた情報” を眺めることもできる。

一見して回り道と思える作業ではありますが,私はこれも学習の醍醐味だと思うのです。

 

併せて,紙の教科書を手にしてその重みを感じ取り,さらにはその分厚さを目の当たりにすると,受験に向けてどのくらいの分量を学ばなければならないかが一目瞭然です。

開いた教科書の背表紙を見て「まだ先は長いなあ…」とか「折り返しは過ぎた!」など,それが自分を奮い立たせる材料になることもあります。

 

デジタル教科書はそういった物理的な情報も,なんとなくでしか理解できません。

 

 

教科書をメインに図録と用語集を机上に並べて配置し,視点を変えながら学習に取り組む。

大学受験の社会科や理科の学習においてはこういう場面が多々ありますが,仮に教科書・図録・用語集が全てデジタル化されてしまったらどうなってしまうでしょうか。

 

手元にタブレットや PC が 1台しかない場合,小さな画面の中で教科書・図録・用語集の全てを開かなければなりません。

私のように視力のよくない人間にはタブレットや PC の小さな画面は正直きついですし,アプリや画面を切り替えつつ使用するならば紙媒体のほうが圧倒的に使いやすいことは言うに及びません。

 

また,デジタルの場合,その様式・形態にもよりますが,紙媒体のような使い勝手を実現できるでしょうか。

アンダーラインを引いたり,補足事項を書き込んだり,教科書の角を折ったり付箋を貼ったりという作業は,デジタルで似たような作業ができようとも絶対に同列には成り得ないのです。

 

 

先に述べたように,デジタル教科書にも利点があります。

 

具体的には,読み上げ機能や動画の再生といった学習支援機能をはじめ,教科書をデータとして持ち歩けるようになることで物理的に荷物を減らせるといった利点が挙げられます。

さらには,誤字や誤記があった場合に訂正が容易にできるなど,出版する側にも利点があります。

 

しかし,だからといって紙の教科書を減らし,徐々にデジタル教科書の割合を増やしていくという流れには危機感を覚えます。

今後も紙の教科書を基本としつつ,デジタル教科書も併用するくらいの位置づけが望ましいと私は考えます。

 

暗記や理解が必要な読み物の類,特に繰り返し読み込む必要のあるものは紙で,図録や資料集はデジタル。これならまだ納得です。