心地よい時間

 

ここ数日は入塾希望の方の説明会や定期テスト前の高校生の質問受付,塾生保護者の方との懇談会にと慌ただしい日々を過ごしておりました。

 

こういった忙しさは塾教員として非常に心地よいものです。

当塾に興味を持ってお越し下さる方とお会いできること,ならびに当塾の方針にご賛同いただいてお子さまを通わせていただいている保護者様とお話しできること。

さらには,学びの場を求めて,かつ,高みを目指して当塾へ通ってくれる塾生たちと過ごせること。

心地よさを感じるとともに塾教員としてのやりがい・醍醐味を感じますし,改めて開塾してよかったと心から思える瞬間です。

 

日々のこのような小さな積み重ねを繰り返すことで,まだ開塾して 7ヶ月の当塾が “地域に根ざした塾” となっていけるものと考えております。

これからも地域の方々に喜んでいただける塾を目指し,教員一同頑張っていく決意です。

 

先日,入塾説明会にお越しになった保護者様が,当塾の高校生が自習に励んでいる姿と自習室の空気感・雰囲気に感嘆しておられました。

9月27日(日) は岐阜高・岐阜北高・加納高・岐山高・長良高が前期期末テスト期間中ということもあって,多くの高校生が自習室を利用していました。

この日は理系の教員と文系の教員を 1名ずつ配置し,各科の質問受付も行ないつつ,私から見てもどの生徒も有意義な時間を過ごしているように感じました。

 

当塾の生徒たちは定期テスト前に限らずいつもこんな感じだと説明すると,その方は当塾の指導方針である “長い目で見た学力を身につける” の意味を感じ取られているようでした。

過去問や予想問題に頼るのではなく,決められた範囲をきっちりとやり抜く習慣がついていれば自ずと未来は拓けるのです。

 

日曜日と火曜日の 2日間で,上記の方を含めて 2名の方が入塾をお決めになられ,また新たな仲間を迎えることができました。ありがとうございます。

高校進学後も見越した大学受験で勝利するための指導と環境,同時に将来を見据えた指導。これが進路探究塾 Mirai の実践する教育です。

 

学ぶことの意味《中学生編》

 

先日,授業の冒頭で当塾の中1生に「学ぶことの意味は何か」を問いました。

 

子どもたちからは「受験のため」,「将来のため」,または「やらなければならないから」など様々な答えが返ってきます。

毎月にわたって将来設計指導を行なっている当塾の生徒たちでさえこの状態ですから,いったいどれだけの中学生が目的意識を持って日々の学習に臨めているかと不安になります。

 

「将来のため」というと聞こえが良いですが,具体的な夢が決まっているわけでもなくただ漠然と学んでいるだけであれば,それは義務的に学習を行なっているに過ぎません。

学習だけに限らず,確たる夢や目標が定まって,人はようやく本気になれるのです。

 

私は中学生にとっての「学ぶことの意味」は,いわゆる一般教養を身につけることに加え,大学受験に打ち勝つための,または社会に出て以降求められる忍耐力をつけるためと定義しております。

だからこそ,私は中学生に対して定期テストの過去問や予想問題といった安易な “お膳立て” を提供したくない,またはしてはいけないと考えております。

当塾の生徒たちが “お膳立て” がなくとも定期テストで結果を残すのは,確たる信念を持って生徒が学習に取り組んでいるからに他なりません。

彼らの頑張りに関してはこれまでのブログでも何度か紹介してきましたので,よろしければ併せてご覧ください。

 

辛い,やりたくない,面倒だ。できることなら楽をして切り抜けたい。

子どもたちの多くはそう考えますし,または何のために学ぶのか,なぜこんなことをする必要があるのかと自問自答することもあります。

忍耐力と同時に,弱い自分に打ち勝てる強靭な精神力も学習や受験という機会を通して磨かれるのです。

“お膳立て” を提供してもらい,それに縋っているうちは,これらが磨かれることは決してありません。

 

大学合格まで見届けた社会人や大学生の教え子たちと会う際,彼らの多くが口を揃えて私は「厳しかった」と言います。しかし,それがあったからこそ「成長できた」とも言ってくれます。

子育てと同じで,甘やかすのは簡単なことですし,お互い気持ち的にも非常に楽です。

 

私は塾で指導するようになって18年半が経っておりますから,正直なところ,中学生の定期テストの出題予想をしてくれと言われれば容易くできます。

しかし,長い目で見れば,それを与える,または与え続けることによって子どもたちにどのような弊害が出るか。これまでのキャリアでも多くの事例を目の当たりにしてきました。

 

その最たる例が,中学時代の成績 (定期テスト・内申・実力テスト) が非常に優秀で公立のトップ高に進学したにもかかわらず,大学受験では全く揮わないというケースです。

「学ぶことの意味」を曖昧にしたまま,中学時代は “お膳立て” を熟すことで結果を残し続けた。これは,さして難易度の高くない中学内容だからこそ成し得られることです。

高校では,特に進学校であればそうはいきません。

 

 

写真は本日撮影した,高校生の自習室の様子です。

多くの高校において本日または明日が期末テスト開始日ですから,どの生徒もその準備に余念がないといった感じで集中して取り組んでいます。

テスト前だからと慌てて取り組んでいる生徒も一部おりますが,この中には数学や化学,日本史等で今回の期末テストに指定されている範囲ではない箇所の学習に取り組んでいる生徒もいます。

さらには,翌日ではなく週明けに実施される科目の学習に取り組んでいる生徒や,すでに試験が終わった科目の学習に取り組んでいる生徒も見られます。

 

極論的な言い方ではあるものの,本気で大学受験に挑もうとするならこのくらいの余裕が必要です。

直前にバタバタするとか,徹夜しなければならないとか。直前に詰め込んだところで先には何一つとして繋がらないのです。

 

直近の単元が理解できている前提で学ぶ単元であったり,各単元の “流れ” が必要な科目というのがあります。

いわゆる点数の取れない生徒というのは,そういった流れをすっ飛ばして指定範囲の単元だけを捻じ伏せようとテスト前に慌てたり,過去問や当て物のような予想問題に縋ったりする。

こんな状態で結果など出せるはずもありませんし,これはただの付け焼刃に過ぎず,まさに『木を見て森を見ず』の状態です。

 

残念ながら,高校は合格することが目的ではありません。進学校であればあるほど,これは顕著です。

いわゆる「良い高校」に入学できたといっても,その後目標もなく淡々と日々を過ごし,学校からの課題に追われていると卒業時に大きなしっぺ返しが待っています。

毎年,岐阜高で30%強,岐阜北高や加納高でおよそ10%の生徒が浪人するという事実。

もちろん,ここには難関大を目指しての “前向きな” 浪人も含まれますが,全てがそうではありません。浪人しても「だめなものはだめ」ということです。

 

合格した直後から新たな戦いが始まり,中学生の頃より難易度の高い学問と対峙し,さらには周囲との厳しい競争に晒されます。

一般的に思い描く “楽しい高校生活” とはかけ離れた世界が進学校にはあり,ひとたび競争から零れ落ちてしまうと上位に這い上がることは至難の業。これが現実です。

 

進路探究塾 Mirai は中学生に対し,定期テストで得点できればそれでよし,または高校に合格できればそれでよしという指導を行なっておりません。

同時に,当塾には高校受験までしか指導できないという教員は 1名もおりません。私を含めた当塾在籍 8名の教員全員が高3生を担当しており,そのうち 5名が中学部の指導も担当しています。

ここでいう高3生というのは,センター試験を経て国公立大の二次試験に臨むという “標準的な” 高3生のことであります。当塾では高校生の学校準拠指導や推薦入試対策は行なっておりません。

 

小学生または中学生の頃から,大学受験やその先の将来を見据えての一貫した指導を行なう。

言い換えれば,本当の意味で将来を見据えた “筋の通った指導” が当塾の実践する教育なのです。

 

医学部の定員削減

 

9月13日(日) の日経新聞の朝刊 1面に『医学部の定員削減』という記事が掲載されました。

 

この記事をお読みになったという方も多くいらっしゃると思います。

当塾にも医師を志す生徒が在籍しておりますから,私も非常に興味深く記事を読んでおりました。

 

上記は2020年度から実施ということで,現在の中1生が大学に進学する年度にあたります。

現在の中1生といえばセンター試験が廃止されて『達成度テスト (仮称)』に切り替わる元年でもありますから,いろいろな混乱が予想されます。

 

子どもたちが夢や目標をしっかりと持ち,長い時間をかけてその準備をしていく。

私たちは,方式・様式が変わったからうまくいかなくなるような “薄っぺらい学び” を提供するのではなく,“確たる学力” を身につけさせる指導を展開し,子どもたちの夢の実現をサポートします。

 

There is no royal road to learning.

 

There is no royal road to learning.

『学問に王道なし』と訳出されるこの諺は,「幾何学の父」と称される数学者ユークリッドが用いた言葉をもとにして生まれたものだそうです。

 

これまでのブログでも取り上げてきましたが,何かを学ぶ,または身につける過程においては,じっくりと腰を据えて基礎づくりに励み,コツコツと知識を蓄え続けることが何より重要です。

真の結果を求めるなら,“すぐに役立つもの” を通して身につけた脆い手法では崩れ去るのもあっという間なのです。

 

英文読解に “速読” という手法があります。

字のごとく “速く (英文を) 読む” ということですが,この言葉の解釈を誤ると大変です。大学受験生にとって,英文の速読は万能の手法ではないということを覚えておく必要があります。

 

英語における速読というのはテクニックではなく,語彙力をつけ,短文の解釈,つまり精読の訓練を繰り返したうえで,多読に多読を重ねた先にようやく辿り着ける手法です。

当然のことですが,ゆっくり読んで理解できないものを速く読んで理解できるはずもありません。

大学受験生に向けて英文を速読する手法のようなものがあちこちで語られておりますが,語彙力も乏しく,精読に取り組んでこなかった受験生にはそれは付け焼刃にさえなりません。

 

当塾では『速読英単語』(Z会出版) を用いて単語テストを実施していることを先日のブログでも触れましたが,生徒たちには 1周目が終わるまでは本文のセクションは見なくてよいと話しています。

なお,当塾の塾生たちに取り組ませているペースに当てはめると,『速読英単語』の単語テストが完了する高2生の12月以降ということになります。

当塾では速読力をつけさせることを目的に『速読英単語』を採択しているのではなく,それはあくまで後からついてくるものと位置付けているのです。

 

まずは確たる語彙力,これに尽きます。未知の語彙が数多く残っている状態で,英文の読解はもちろん速読など不可能です。

仮にそれを読めている状態だというなら,読書経験の浅い小学校低学年の児童が新聞を読んで「わかる」と言っているのと同じです。これは文章を流している,撫でているに過ぎないのです。

 

長文読解の訓練は,単語帳などを通して大学受験に必要とされる語彙を “目にしたことがある” 状態にしてからでも全く遅くありません。

併せて短文での精読にも並行して取り組んでおき,語彙がある程度固まってきたら長文読解の訓練に入っていく。

二次で英語が課される難関大を受験するなら,高2生の終わりまでにどれだけ基礎力をつけてきたかが非常に重要なのです。

 

塾選び 《続編》

 

先日の『塾選び』と題したブログでも申し上げましたが,私には中2生の娘と小5生の息子がおります。

小中学生時代の私と同じで,いずれも学ぶ・知るということに熱心なタイプではありません。娘は部活が中心,息子は遊んでばかりのお気楽な毎日を過ごしております。

 

娘・息子には長らく通っていた塾がありましたが,なかなか成果が出なかったこともあって本人たちの希望で今年の 4月から自宅近くの塾へ移りました。

何度かお邪魔して中の雰囲気も拝見させていただきましたが,その塾はベテランのいわば “職人” のような先生方が指導にあたっている昔気質の個人塾という印象を受けております。

子どもたちが喜んで通ってくれていることが何よりです。

 

娘は数学がとても苦手で,これまでも各種テストにおいて足を引っ張る教科でありました。

小学校の算数の時点から苦手意識がありましたから,おそらく楽しさが見出だせなかったことがその主な要因です。きっかけが掴めなかったのでしょうね。

 

そんな中,娘が今回の前期期末テストの数学で96点を取ってきました。

平均が60点台だったということに加え,連立方程式の文章問題という力量が試される単元がメインでしたから,塾教員の視点に加えて保護者としての視点からも価値ある結果だと見ております。

彼女はこれまでの 6回の定期テストの中で,数学はもちろんのこと合計点でも過去最高をマークしました。

現在の塾に移ってからはテストに対する取り組み方・意識が変わり,最近は数学が楽しいとまで話すようになりました。凄まじい変化に驚いているとともに,親として非常に嬉しく思っています。

 

塾教員としてのキャリアが長くベテランであっても,やはり子育てをしたことがある教員とそうでない教員とは明らかな差があります。

私も家族を持つようになってから意識が変わりました。やはり,娘たちが通っている塾のメインで担当されているお二方にもお子様がいらっしゃるとのことです。

先日の『塾選び』のブログに追記するならば,塾または校舎の責任者が子育て経験者であるか,または最低でも 1名は子育てをしたことのある教員が常駐しているところがよいでしょう。

 

どんな想いで保護者様はお子さまを育てているのだろうか,または塾に預けていただいているのだろうか。子育てをしたことがなければ,これは絶対に忖度できません。

こういった想いが違ってくるというか,何より教員としての深みが違ってくるわけです。

 

予想問題というものに対する私見

 

今回のブログはいわゆる過去問と,様々な形で市中に溢れる予想問題に対する私見です。

 

過去問は出題の仕方や時間配分など,いわゆる傾向に “慣れる” ためには便利なものです。重視はしていないものの,私も生徒たちの入試前には必ず過去問に取り組ませます。

しかし,本番においてはいつも同じ形式または同じような難易度で出題されるとは限りませんから,過去問を偏重しませんし絶対的な存在とも位置づけません。

 

これまでのブログでも申し上げてきましたが,私はとにかく予想問題というものに抵抗を感じております。

私はこれまでの人生を振り返ってもあらゆる場面でそういったものに頼らずに生きてきたという自負がありますし,無責任なことを言って子どもたちを惑わせたくないという思いもあります。

 

先生の言うことだから間違いないと信じる生徒は多くいるでしょうし,入試前などは藁にも縋りたいという気持ちの生徒は多くいるでしょう。

しかし,そんな安易なものに頼って偶然にもうまくいってしまうと,以降は「予想問題がないと困る」という状態に陥ります。自主性もなく,かつ “味を占める” というのは本当に危険な状態です。

基礎基本を大切にして,決められたものを徹底してやり抜く。これが定期テスト,実力テスト,各種模試,入試に向けた学習のあるべき姿なのです。

 

続きまして,入試においていわゆる出題傾向が変わった際の実例をご紹介します。

過去問・予想問題漬けの受験生たちを惑わせた端的な例ではありますが,参考までにお読みください。

 

2015年の京都大の英語。

定番化していた英文和訳・和文英訳が一辺倒という出題形式が変化し,試験中に受験生から「まじかよ」という言葉が聞こえてきたそうです (京都大に通う教え子の後輩が話していたとのこと)。

問題に目を通すと確かに出題形式は変化したと言えますが,英文を読み取る,または解釈するという観点では難易度に著しい変化があったようには見受けられません。

とは言え,英文和訳・和文英訳しか出題されないと決めてかかっていた受験生は驚いたことでしょう。

 

また,2008年の岐阜県公立高校入試の数学。

それ以前は易しかった問題の難易度が急激に上がり,高得点勝負だったものが一転して実力を試されるものになりました。岐阜高の入試でも,試験終了直後は騒然としたそうです。

過去問を中心に取り組み,数学は脅威ではないと感じていた受験生はさぞ焦っただろうと思います。

当時も現在と同様に過去問偏重の指導をしていなかったこともあって私の教え子たちは難なく切り抜け,むしろ数学の得点で内申の不足を補って合格を掴んだケースさえありました。

 

過去問はあくまで過去問。

予想問題はその過去問をもとにして作成されたものですから,これさえやっていればよいというものにはなり得ませんし,どうしても作成者によって偏りが出てしまうものです。

占いではありませんが,『当たるも八卦,当たらぬも八卦』。たとえ予想が外れても,その作成者は何の責任も取ってくれませんからね。

 

上記したように,基礎基本を大切にして決められたものを徹底してやり抜く。これが学習のあるべき姿です。

“お手軽なもの” に頼っているうちは,真の成長などあるはずもないのです。

 

これと決めた 1冊を究める 《続々編》

 

以前に『これと決めた 1冊を究める』というタイトルで,私が大学受験生だった頃に英語の学習で取り組んでいた参考書を紹介しました。

今回は和文英訳 (いわゆる英作文) 対策用に取り組んでいた 1冊を紹介します。

 

私が和文英訳対策として取り組んだ参考書は『基本英文700選』(駿台文庫) です。

現在は『新・基本英文700選』として改訂版が発売されており,英文のブラッシュアップもさることながら CD も付属されてパワーアップしています (私の頃はテープでした (しかも別売り))。

 

『基本英文700選』は格調高い英文の数々で,大学受験レベルに止まらない英語力をつくるという意味でも有用な参考書と言えます。

左ページに英文,右ページにその和訳文という構成ですから,私は英文を繰り返し書いて暗記し,右ページの和訳文を見れば英文が出てくるレベルにまで昇華させました。

ただ,基本とは銘打たれているものの各英文のレベルは非常に高いため,高1生の頃にリーディングの教科書の予習をやり込んでいなければおそらく理解できなかったことでしょう。

単なる暗記で終わらせないよう,なぜその表現になるのか等も辞書や傍用文法書 (高校の指定図書だった『コンプリート高校総合英語』(桐原書店)) と日々格闘しながら突き詰めていきました。

 

先日,当塾の高3生 (理系) が「『基本英文700選』は断念した」と話していました。志望校から考えても本音としては取り組んでほしいところですが,人により合う合わないもありますからね。

ちなみにこの生徒の 5月の全統記述模試の英語科偏差値は72.6 (全国平均点は64.9点,本人の得点は152点) に達しており,順調に仕上がってきています。

 

私が高校生の授業時に紹介する例文は,その多くが『基本英文700選』で得たものがベースになっています。

当時につくり上げた “引き出し” が,現在の仕事 (授業) や海外の文献等を読む際に今も役立っているのです。言うまでもなく,大学受験時や在学時にも役立っていました。

 

単語は『速読英単語 必修編・上級編』(増進会出版社 (現 Z会出版)),文法は『基礎英文法問題精講』(旺文社) で基礎をつくり,並行して『基本英文700選』(駿台文庫) に取り組みました。

これが高1生の冬から高2生の秋にかけての取り組みです。

単語・イディオムだけでなく,短文を暗記することで英作文問題への対応力を高めようとしていたのがこの時期です。

 

和訳および解釈は,以前のブログでも紹介した『英文解釈教室』(研究社) と『英文和訳演習 上級編』(駿台文庫) で,これらに取り組み始めたのが高2生の冬です。

もちろん,『速読英単語』と『基本英文700選』はさらに深化させるべく 5周目・6周目へと突入していきました。

このマッチングに加えて長文読解への慣れは専ら英字新聞で,良書に出会えなかったこともあって下手な問題集には取り組みませんでした。

 

よく生徒たちにも話していますが,どの科目においてもプラスアルファのことに取り組むには学校の授業はもちろん各種課題を卒なく熟せることが条件です。

これらが儘ならない状況でプラスアルファに取り組んでも成果は出ません。

現在の高1生・高2生の進研模試で言うと,偏差値75程度に到達できていれば更なる上積みをしていく準備が整っていると言えます。

偏差値60にも到達できていないようであれば,英語ならばまずは単語と文法をきっちりと,数学ならば『Focus Gold』や『チャート式』といった傍用参考書と向き合うことが必要になります。

 

基礎を疎かにして無暗に問題集に取り組んでも到達できる地点は高が知れています。

高校受験レベルならば問題を解きまくるやり方である程度の結果を出せても,難関大学受験レベルとなると話が違います。実状はそう生易しくはないのです。

 

最後に,上記した英語の各参考書 (『基本英文700選』⋅『英文解釈教室』⋅『英文和訳演習』) は,京都大以上のいわゆる難関大を目指す際に必要になるものです。

国公立大でも英語はセンターのみといったケースはもちろん,私大をメインに考えている受験生には難易度が高すぎますから,その場合には全く別のアプローチが必要になります。

 

物事には順序や適性がありますし,根気よく取り組む,目標を持ってやり込むことでようやく成果の出せる参考書ですから,決して万能ではないということも併せて申し上げておきます。

 

進研模試 《2015年 7月実施分・続編》

 

高校の夏期休暇が明け,進研模試結果が返却され続々と結果が集まってきました。

先日のブログでは当塾の高1生の結果を一部紹介しましたが,今回は高2生の結果がほぼ出揃いましたので紹介したいと思います。

 

国公立大受験パッケージ受講生の高2生の13名 (定員16名) から提出があり,現時点での数学の平均点が64.5点,最高点が87点 (全国偏差値は76.8) です。

まだ提出のない残り 3名 (岐阜高生 (文系)・加納高生 (理系)・岐山高生 (文系)) の結果も合算すると,高1生時点の 1月の結果を踏まえればあと0.5 ~ 1点は上がると見ています。

 

今回の数学の全国平均点は34.2点ですから,当塾生の現在の平均点を全国偏差値に当てはめると65程度になります。

もう少しいってほしいというのが本音ですが,あくまで模試でありますし,中でも進研模試は “限られた受験者層” で行なう模試ですから参考程度にしかなり得ません。

この高2生において敢えて模試の結果に拘るとするなら,私は来春 5月実施の全統マーク模試を挙げます。

同学年で進研模試を受験していない層,さらには過年度生が合流するこのタイミングで結果を出せるほうが,高2生の進研模試で結果を出せるよりもはるかに有益です。

 

話を戻します。

誤解のないように申し上げますが,得点を取れている生徒がいるのは確たる目標を持って生徒自身が頑張っているからに他なりません。

これまでのブログでも紹介しているように,当塾では定期テストや各種模試の予想問題の類は与えておりません。付け焼刃で獲得した得点は虚像に過ぎず,価値がないと考えているからです。

彼らが日々の学習はもちろんのこと,当塾の授業や自習室質問受付等の環境をうまく使い熟している結果なのです。

 

好結果は生徒の頑張りによるものですが,芳しくない結果は私たちの指導がまだまだ足りていなかった,行き届いていなかったと振り返る材料としています。

今回は上記した13名のうち,実に 3名が数学の全国偏差値で60を割り込んでいます。

この先,志望校に向かっていくという意味でもこれは明らかに “黄色信号” ですし,何らかの手を打っていかないことには悪化の一途を辿ることでしょう。

 

模試で結果を出す方法というより,私たちは長い目で見て入試で結果を出せる方法,さらには将来の夢に近づける方法を一緒に考えます。

そういった対話の時間を設けるために当塾は少人数定員制を敷いているわけですし,その場凌ぎの手法を繰り返して模試の結果を繕ったところで入試がうまくいかなければ元も子もありません。

 

もう 1点。先日のブログでも取り上げましたが,模試の判定に関しても同様のことが言えます。

模試の判定に一喜一憂することは時間の無駄ですし,たとえ A判定をもらえたとしても合格できる保証はどこにもないのです (もちろん志望校にもよりますが)。

明確な指標になり得ないことに加え,その生徒が結果として不合格になってしまった際に不憫であることからも,このブログでは高3生も含めて在籍生の模試の判定結果を公表致しません。

 

好結果を出せる生徒だけに光を当てたり,またはそれを発信したりということでは,結果の出せない生徒たちがあまりに不憫です。

さらには,合格実績においても「○○大学□□名合格」という華々しい実績の影に何名の涙を呑んだ受験生がいるのかを公表すべきだと私は考えます。

受験者数に対しての合格者数,在籍者数に対する合格者数を公表する形式で揃えていけば,華々しい数字だけが独り歩きする状況は避けられるのではないでしょうか。

 

同じ授業を受け,同じ空間で学んでくれている生徒ですから分け隔てなく対応しますし,共に悩み考え,そして前進する。その結果として,将来の夢の実現に近づいていく。

これが当塾の実践する教育であり,教育を通じて地域への貢献を果たしていくという私たちの使命でもあると考えております。

 

サービス業にとって “とても大切なこと”

 

私にとってのコンビニと言えばローソンです。

ローソンでは写真のカフェラテをよく購入しており,美味しく飲ませていただいております。

 

そのローソンの中でも “行きつけ” というか,出勤途中や帰宅途中に頻繁に立ち寄る店舗があります。

私の基本的な通勤ルートにローソンは 3店舗あるのですが,立ち寄るのは決まって 1店舗です。

常に清潔に保たれた明るい店内,顔を合わせればいつも気さくに話しかけてくださるオーナー様の存在。立ち寄りたくなる要素に溢れています。いつもありがとうございます。

 

金融機関に行かなければならない時や書店に寄ってから出勤する際は,当然ながら通勤ルートが変更となります。

先日の出勤途中にふらっと立ち寄った岐阜市内のローソンで,唐突にレジの方から話しかけられました。

食事に行った先や書店等,いろいろな場所で教え子やその保護者様に遭遇することがありますが,名札を拝見するもお名前もピンとこない。

はて,と思っていたら,「河渡 (ごうど) 店で何度かお見かけしていたので」とのこと。

 

その店舗は自宅からも遠く,休日に数回立ち寄ったことがあるだけです。

お声をかけてくださった方は,現在は異動で私が立ち寄った店舗で勤務されているとのことでした。

多くの客が入れ代わり立ち代わりで来店する中,来店頻度も高くなく,しかも身なりも異なる客を判別されているということに驚きました。

際立って背が高い等の目立った特徴のない私ですから,その記憶力に驚かされると同時にサービス業にとって “とても大切なこと” を教えていただいた気がします。ありがとうございます。

 

競争の激しいコンビニ業界ではありますが,商品の充実だけでなく再来店したくなる仕掛けや上記のような付加価値を追求して差別化を図れる店舗が勝ち残れるのだと思います。

ブランド間の “差” だけでなく,同じ看板を掲げていても店舗間の “差” がありますから非常に過酷な競争だと言えます。

 

基本的に大手企業のみのコンビニ業界と,大手と個人経営の入り乱れる塾業界。状況は違えど,私たち塾業界も過酷な競争という観点では何ら変わりありません。

今回ご紹介した事例はもちろんのこと,様々な業界やその事例を参考にして,当塾が地域の皆様にとって不可欠な存在となっていけるよう教員一同頑張っていく決意です。

 

教え子との再会 Vol. 006

 

本日も教え子が訪問してくれました。

この夏は大学生から社会人までさまざまな教え子が訪問してくれて,塾内で話をしたり,または食事に行ったりと楽しい時間を過ごすことができました。

 

この夏に会いに来てくれたどの教え子にも共通していることですが,彼らは歩む道は違っても歩みを止めることなく確実に前へ進んでいます。

大学生では学業面はもちろん言葉遣いや各種マナー,社会人ではそれらにビジネスマナーや視座なども加わってきますが,どれをとっても成長が感じられることが私には嬉しいのです。

 

例えば各種マナーで言えばアポイントメント。

開塾して半年だということ,夏期講習中,さらには中学生は定期テスト直前期で私が忙しくしているだろうと,1週間から 1ヶ月前に予めこちらのスケジュール確認をしてくれました。

 

目上の人間と会うにあたっては,こういった心遣いは非常に大切です。

突然訪ねてこられても,先約があったり仕事が立て込んでいると対応できません。ふらっと友人に会いに行くのとはわけが違います。

この夏に会いに来てくれた教え子たちはしっかりと忖度してくれていました。細かい部分ではありますが,こういったところからも彼らの成長を垣間見ることができます。

 

教え子に会うと元気をもらえます。

彼ら,彼女らにとっても私たちがそういった存在になれていればとても嬉しいです。